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運転している時に、救急車のサイレンの音が聞こえ、どちらから来るのかと耳を澄ませて、いると、後方からくるとわかって。ハザードランンプを着け、歩道側に車を寄せました。後続の赤いベンツ車は、私の車がハザードランプつけて道を譲ったと勘違いからか追い抜きにかかりました。救急車が通りますとアナウンスが鳴り、やっと事態がわかり、車を私の前に幅寄せして止まりました。救急車が通り過ぎた後は窓を開けて腕を出して、先に行けと合図をしますので、先に出発しました。
今朝は大変込み合う交差点で、向こう側の停止線には市バスが停止していました。その後方から救急車がサイレン鳴らして迫っていました。当然バスはハザードランプを着けて待機するとみていましたが,発車しました。両車線は車両がいっぱいで、避ける場所がとりずらくなりました。救急車が後方にいる事態になってもバスは止まりませんでした。やっと止まって、譲り合って救急車は通り抜けていました。緊急時を意識しながら運転していきたいと思います。
最近は、情報の発達により、海外でもマンガ、アニメと評判です。フランスでは、コロナ中に政府が補助金として一般書籍や、教育関連の本を推進するための、カルチャーパスを、当時18歳対象に配りましたが、一番利用が多かったのが書籍で全体の約84%位、その中で漫画が4分の3の人が日本のマンガを購入し、チョットした話題となりました。
また、他国の人が、漫画を模倣し作品を売れるように試行錯誤で行いますが、単発の作品が売れるのみ、ビックタイトルはありません。
それは、なぜか?近代漫画の巨匠、手塚治虫氏の多大なる影響は勿論、その前に活躍した戦前戦後の北澤楽天や岡本一平(岡本太郎の父)、田川水泡(のらくろ)や、それ以降の、多種多様な作家が、色々なジャンルで活躍し広がり続けています。
漫画の出来たのはいつか、諸説ありますが、例えば、室町時代の屁合戦絵巻(早稲田大学所蔵)や江戸時代の、葛飾北斎の北斎漫画、曲亭馬琴(滝沢馬琴(日本で初めての原稿料だけで生計を立てる事のできた作家)南総里見八犬伝の挿絵を描いた柳川重信などそのころから、漫画(絵物語)がありました。明治になり風刺漫画やその後の4コマ漫画、山川惣治に代表される絵物語(少年王者)、そして、それらが、今の漫画に通じています。 アメリカで人気のヒロアカや鬼滅の刃、中東で人気のドラゴンボール、ヨーロッパでもワンピースやワンパンマンなどありすぎて限がありません。今、日本では、転生ものや、なろう系、王道漫画や少女まんが、子供漫画、青年漫画やマイナーな漫画なども次々生まれています。チョット前ですが、ヘルプマンと言う介護の漫画もありました。これからも世界中の人を楽しませてくれるこのツールをこれからも、大切に出来るよう休日には、読んでいきたいと思います。今回は、趣味の話をさわりだけ書かせていただきました。
追伸、今年は、鳥山明、楳図かずお両氏が亡くなり残念な思いでいっぱいです。
私に人生と言えるものがあるならば
あなたと過ごしたあの山の日々
きらめく草の葉に心が弾み
野に咲く花に心がかよう
私に人生と言えるものがあるならば
あなたと過ごしたあの旅の日々
もう会えないけど、もう若くないけど
二人で行ったあの日が浮かぶ
私に人生と言えるものがあるならば
あなたと過ごしたあの山の日々
許されるのならやり直してみたい
出来る事ならばあの日に帰りたい
私に人生と言えるものがあるのならば
あなたと過ごしたあの山の日々
あなたと過ごしたあの旅の日々
若き日の思い出がよみがえってきます。。
65歳を迎えるのに、最近は歳を取ったなと思う出来事が目立ち、書き上げた歌を思い出しては、口ずさむ日々です。
和田早苗
私の家族は、御殿場に住む長男家族、上のお姉ちゃん22歳、下の子が7歳、プードルのピロちゃん、黒猫のルンちゃんです。お父さん、お母さんととても仲良く暮らしています。
下の子が2歳の時、目の動きが気になり、心配していました。そして、その子が小学生になる時、目の異常が分かり、視力が弱視と言われて、治療をすることになりました。眼鏡を使用し視力をよくしていくそうです。両親は心配し、悲しんでいました。お母さんは、娘の目が大きくてきれいな瞳を自慢しているくらいでした。孫は眼鏡をすると、お友達が眼鏡をいたずらするのが嫌だと溢していました。それでも本人は、明るく元気で、負けずに学校に行き暮らしています。おばあちゃんと一緒だね。と話しかけ、夏休みのお盆の日に遊びに来て、たくさん遊びました。かけがえのない家族の幸せを祈り、孫の目が見えるようになりますようにと、仏様になってしまった両親に手を合わせ、心から祈りました。
介護には同行援護と言うサービスがあります。同行援護とは、視覚障害のある人が外出する際、支援者が同行して移動に必要な情報の提供、移動の援護、トイレでの誘導や食事のサポート、代筆や代読、移動者が行きたい場所への同行、同行中の身体介護、利用者に応じたコミュニケーションツールを準備し対応すること、事前準備など多岐にわたります。
その中でも移動同行中の歩きに関して書きたいと思います。2人の成人男性が横並びに歩いていることを想像してください。幅が広い道、狭い道、でこぼこ道や砂利道、芝生等色々な条件の道があり、その上雨降りや、雪などで滑りやすい道、ポールやガードレールが沢山あったり、点字ブロックが有ったり、下り坂上り坂、幅のそれぞれ違う階段、歩道橋やエスカレーター、エレベーター、横断歩道、踏切、電車乗り込みの際の危険性、バス乗降時のバスと未知との段差や隙間等多種多様にわたります。その上、歩行者、自電車、車、バス、バイク、横に並んで歩いてる人、全く気にせずスマホをやっている人等々その中をかいくぐり歩き、注意して目的の場所に安全に到着することが仕事上、必要です。1人で歩く場合は、あまり気にせず歩いていましたが、2人で歩くと沢山の注意点が解る様になりました。介助している最中には、相手がよけたりすることが当たり前で(善意の心)、白杖を持っている人が歩いているのだからと、周りの人も注意してくれていると考えず、ほとんどの人は、下を見て歩いていたり(スマホ)当たることを気にせず歩いていたり、様様です。危険な場所や場面はいつ何時にあるかわからないと思い、介助することが必要です。但し、気にしてくださっている方もいるので少しは安心です。介助時、私たちも、他の人の気持ちや行動を考え、譲り合いの精神で歩いていきたいと思います。
休日の1日の過ごし方は、行きたいところに行くと決めている。朝のんびりしたいと思う事もありますが、お天気が良い日はなるべく外出し観光・買い物・食べ歩き等するようにしています。誰かとではなく1人でほぼ出かけています。東京辺りだと見どころ満載で1日では見切れず何回かに分けてでかける事もあります。今まで行きたかったけど行けなかった場所など色々楽しいです。先日は浅草寺に行き、お守りを購入、大学芋・天丼を食べました。別な日では、東京タワーに行き展望台から東京周辺を見下ろしてきました。
随分昔に昇ったことがありますが、再度床がガラスになっている所も歩けるか試したり、蝋人形館はなくなっていましたが十分1人でも楽しめました。虹もでていて良い事がおこりそうなそんな気がしました。次回は夜の東京タワーから東京の夜景が観たいです。次に予定しているのはスカイツリーです。
見せびらかしって何だろう。思い出せば私は、あまりにも衝撃的な映画を見ました。それは「エレファントマン」という映画でした。まだ、高校生で、その頃は優越感がありプライドの高い少年でした。たまたま、ある漫画本に「アイム ヒューマン ビーイング!!」と書かれて「私は獣じゃない!人間だよ!」とわかっていても絵で描いているだけでわかりませんでした。たまたま、この映画を見ようと入館しました。あまりにも残酷すぎる物語でした。サーカスで、見せしめにされている獣。あれは何なのか?分からず、医師がそれを見て救って保護しました。何らかの会話で聞き取れて真似して、言葉が出るようになった獣は人間だとここで私は初めて、知りました。その後、医師がその獣に色々な言葉を教えて訓練し、その言葉を身に付けられ、交友会で広げて行きました。しかしながら、この世で生きていくのに難しく、この体を人に見せるのが恥ずかしくて体を隠して路上で歩く姿も、ありました。就寝する時、私は人間です。みんなと同じように、あお向けて休みたいと、ここで息を引き取ったという物語でした。彼の病名は「プロテウス症候群」です。骨髄や皮膚等が変形してしまう病気であお向けた状態で呼吸困難となり、死に至ります。それを知っていて死を選択したという事は自殺です。苦しかったのでしょう。見せしめじゃない。我々と同じ人間であると理解していかなくてはならないと感じました。
また、「障害は個性である」とよく聞いています。しかし、私は、この言葉は嫌いです。「個性」とは何でしょうか?それは性別、性格、趣味等事を言います。障害は個性ではありません。障害とは何か?生まれつきそのものや、ダメージを受けた身体のことをいい、「障害は障害」であり、それらをどう理解して頂くか?或いはそれをどう乗りこなすか?事は難しいでしょうが、選択は二つ。自分の障害を克服する事。もう一つは自分の障害を身近な人達に理解して頂く事。人はそれぞれの選択であり、私は、自分を克服していくタイプです。だからといって私は障害者達に強制はいたしません。客観的に考えてどうケアしていくか?一人一人のプライバシーを守り、優しく丁寧に笑顔で努めていきます。
カラマツ、コメツガ、針葉樹林
かもしか、月の輪ぐま、走る稜線
そびえたつ、つらなる我が山々を
そびえたつ、つらなる我が山々を
いくたびか春をむかえ
いくたびか夏をすごし
いくたびか秋をむかえ
いくたびか冬をすごし
柿の木、赤土畑広がる水田
川柳、青い水、流れる河川
この土地に、生きている私の暮らし
私に流れる人たちの暮らし
私が歌う歌ではない
あなたが歌う歌でもない
我が山々が私のうた
我が大地が私のうた
かるかやからつり草
わきたつ積乱雲
からすうり、月見草、風渡る草原
この土に私のすべてがある
この国に私の今がある
いくたびか春をむかえ
いくたびか夏を過ごし
いくたびか秋をむかえ
いくたびか冬を過ごし
かもめどり、黒松岩礁海岸
カツオドリ、海つばめうねる水平線
この国の歴史を知ってはいない
この国の未来を知ってはいない
けれども私はここに生まれた
けれども私はここに育った
私が歌う歌ではない
あなたが歌う歌でもない
我が山々が私のうた
我が大地が私のうた
この歌が、大好きなご利用者様がいます。
一緒に歌い過ごす瞬間が共に喜びを感じる時です。