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今年も昨年同様、下北沢のカレーフェスに娘と行ってみた。参加しているお店も90店舗程あり、どれにしようか迷ってしまう。
チキンカレー・キーマカレー・スープカレー等個性豊かなメニューが並び辛さも色々です。昨年もハーフサイズで5皿は食べることができ、間にスイーツを挟み完食しているので今年も最低5食は頑張ろうと思っていた。
昨年は1つはずれがあったが、今年の5食はどれも美味しく頂けた。下北沢と言えば古着の町で有名で、この日もインバウンドもあり外国の方のカレーフェス参加も多く、古着屋も外国の方でいっぱいでした。食べたお皿の数でスタンプが貰えて、スタンプの数により商品があり、来年も10月にカレーフェスは行われると思うのでまたチャレンジしたいと思います。

あれは何歳だったろうか?まだ、幼い頃、母親の実家で留守番した頃、ある物をみた。白い壁紙に、ストローで飲む真っ黒い女性だった。大きな口で好感度のある画像で強い印象だった。更に不思議に思ったのは、その女性は何故、黒いのだろうと、まだ幼い私は何にも知らない。こんな女性って見た事がない。そのうちに、また一つ学んだ。「チビ黒サンボ」という童話だった。なかなか良いストーリーだ。小学校一年生の頃だったかな?クレヨンの中に「はだいろ」という色がある。この言葉の意味が分からない。お肌の色の事だねと分かったとしても違和感がある。だってそうじゃない?自分のお肌とクレヨンの「はだいろ」全然違うじゃない?それが大人になって行く度にそれらが1つ1つ消えていく。何故、消えてしまったのか?私には分からなかった。たまたま娘が、まだ幼い頃、クレヨンの「はだいろ」が「だいだいいろ」に変わり、「だいだいいろ」が「オレンジいろ」に変わった。いつだったか?記憶にないが、国際人種差別撤廃条約が出来たと知った。リンカーン大統領をはじめ、黒人差別を無くす運動はあまりにも長いが、障がい者差別という歴史はまだまだ浅い。ただ、これだけは言える。人種差別なんて、まだいい方だよ。だって言葉だって言える。耳で聞ける。ちゃんとしたコミュニケーションが取れる。障がい者なんてそう簡単にはいかないよ。私なんて何十年も生きて一つ一つ苦労して一つ一つ克服してきたからさ。そんな事ってさ、誰にだって気付かないよ。みんな自分の事しか考えてない生き物だからさ。私が逆らうなんて出来やしない。私が大人しくオドオドしていくしかないよ。例えば、私が自転車に乗って、ちゃんとルールを守って、左側を通って、走った。子供用シートを前後に付けて右側を走ってくる。何、考えてるか?分かりやしない。たまたま、右側を走る子供用付自転車に乗っている母親がいた。このまま走りながら前方に左側を走りながら交差点を通過しようとした自転車に接蝕事故を起こして転倒した。その母親が相手に謝罪して私から「お子さんがいるのですから、必ず左側を走った方いいですよ。」と伝えたのに、シカトされた。何、考えてるか?全然、分からない。それだけでなく、私が左側を走って前方の見えない曲がり角の壁側から、いきなり、自転車が飛び出してくる。その人が知らん顔で平気な顔をする。危ないとは思わないの?ねえ、知ってる?60くらいの女性と小学生の男の子が自転車で正面衝突を起こしてしまったことだよ。どっちが左側を走ったのか?どっちが右側を走ったのか?知らないけど、その60の女性が頭蓋骨骨折により脳内出血の為、寝たきり状態となった。裁判で少年は9千500万円を支払え!と命じられたよ。とんでもない金額だよ。それをみんなが「私には関係ないよ」みたいな顔して知らん顔するよ。私は、いつも移動支援で仕事する時、必ず利用者さんに「横断歩道に止まりましょう。」「右と左を見ましょう。」と声かけして支援している。思い出せば私は幼い頃からずーっと、ろう学校の中で生活を送られて先生方に厳しく指導された。耳の聞こえない子供達の為に安全に安心して渡れるように考えてくれた。「横断歩道に止まって手を挙げて右と左をよく見て車がいなかったら、渡りましょう。車が来たら、必ず待ちましょう。」と朝礼も、また同じ事を指導された。当たり前だと今でも思っている。俺だって、まだ幼い娘にちゃんと教えたよ。「道を渡る時横断歩道を使おうね。」「横断歩道に必ず止まろうね。」「右、左を見ようね。」って。
自分は自分なりに生きて行くよ。
それが一番だよ・・。
そして、自動車整備業界で働いた頃の社長をはじめ、国家2級自動車整備士へと育ててくれた感謝の気持ちを忘れない。そして、聴覚障害の持つ私を雇って頂いたゆいゆいに感謝しています。今、訪問介護をやってて、良かったと思う。だって、感じてくるもの。遣り甲斐があるんだ。
多くの人達に認められるほど・・・。
どうせ、自分が死を迎えるのだから
生きている限りに自分の伝記が残るくらい
生きていきたい・・・。

11月11日はポッキー&プリッツの日・棒ラーメンの日・チンアナゴの日・もやしの日・サッカーの日 (11対11で行うスポーツにちなんで)・きりたんぽの日・靴下の日といったように、細長い食べ物・モノ・語呂合わせ等により制定されたものが多いようです。
文化的な記念日では第一次世界大戦停戦記念日(1918年)・鮭の日(魚へんに十一が二つ重なっている事から)・折り紙の日(追悼の際には折り紙がよく使用される事から)・介護の日(1999年に国際障がい者年のキャンペーンの一環として制定された・頑張らない介護生活を考える会が【11(いい日)11(いい日)】の語呂合わせにちなんで記念日制定していたもの)があるようです。
頑張りすぎない介護を念頭におきながら仕事に励んでいきたいと思います。

喧嘩道とは、上手く表現した道のことです。
細道で、上る車:下る車が出くわして,お前が下がれよ、いやあんたが下がんなさいよとけんかする場面に出くわします。
地元の人は、こんな場面にならない様に、
避ける場所で、避難して様子をみてから安全確認して、道路に戻り、混乱しない配慮を心得て生活しています。藤沢は抜け道を知らないと生活できないよと、横浜から越して来た時に言われて、抜け道を覚えました。
細道であるからこそ、一旦停止を守り、ドアミラーも畳む癖がつきました。すれ違う時に、金属音がして、傷ついたかなと思いましたが、相手の車は止まることなく行ってしまいました。ドアミラーが傷ついていました。
それ以降は危ないなと思うと、ウサギが耳を倒す様に、無事でありますように行き違いを乗り越えています。

訪問介護では、資格保有者のケアを必要としている利用者様が多くいらっしゃいます。短い時間でも、命を守るためには、決められたことを手順通りに行う必要があります。
ゆいゆいに入社してから、喀痰吸引等研修・同行援護研修・実務者研修に参加し、学びを得ました。3つの研修で共通して教わったことは、【利用者目線の介護】をすることです。介護者の価値観を優先しないこと、本人の意思を尊重することが大切だと学びました。
気の知れた家族や友人でも異なり、人それぞれ価値観は全く違うので、ヘルパーは意思を読み取る配慮や声かけが重要です。信頼関係ができるまでは一つ一つの作業全てに意思確認を行います。長いお付き合いで気心知れても確認は怠りませんが、買い物の内容や料理のメニュー等を任せていただけるとほっこり嬉しいです。自分の嫌なことはしない、自分の意思や好みをわかっている、を前提に《おまかせ》してくださるからです。初回ケアでご満足いただき、2回目からおまかせしてくださる方も多くいらっしゃいます。ケアを重ねるたびに、お互いの話をしたり、笑って過ごす時間が増え、次にお会いできる日が楽しみになります。
各研修で学んだ【利用者目線の介護】は、まだまだ奥が深いので、いろいろな方と出会い寄り添い、学び続けたいと思います。

私はこの福祉業界に入ったばかりの時に疑問に思うことがあった。いつもレクリエーションは演歌やおりがみや童話の歌などでみなさん楽しく参加されていたけれどこの先ずっとそのレクリエーションばかりをやっていくのか、時代や世代が変われば利用者様から求められる事は変わっていくのではないか。
きっと何十年後かはレクリエーションでテレビゲームや美容のネイル、メイクなどに変わっていくのではないか。
そう思った自分は福祉の業界を一旦辞めてネイルスクールに通いだした。
爪の基礎から肌色でどの色が合うかなど学んだ。
しかしネイルの世界は意外と体育会系で大人の美意識が高い女性たちを相手にするのは自分がやりたかったことではないと思った。
その迷った時自分はなぜネイルの世界に入ったのかを振り返り高齢者を相手にしたかったのを思い出した。
福祉ネイルの資格、シニアセラピーという高齢者に対して行える浮腫マッサージの資格を取り、当時働いていた職場でボランティア活動として施術していいと上司から許可をもらい始めた。
皆さん最初はネイルというとどんなことをされるかの不安があり、マッサージの方が今の高齢者には求められていた。
働いていた場所は新しくできたばかりの有料老人ホームで若い世代も居てその方々世代にはネイルを受け入れていただきとても喜ばれていました。爪の色で悩まれていたり、シールを貼るか、キラキラさせるかなど目が輝いていて見ているこっちが幸せな気持ちになりました。やっぱり世代でやってきたこと、やりたいことは変わると思うのでその世代世代で臨機応変にできるように色々な勉強をこれからもしていくべきだなと思いました。

この世の中はジグソーパズルと同じだなとよく感じる事があり、仕事においては計画性を持って一つ一つを丁寧に行なう事により、一つの仕事というジグソーパズルは完成すると思うし、人間関係というジグソーパズルとしては、信頼関係をゆっくりと構築する事で人間関係というジグソーパズルは完成していくと思う。
人間関係においては、色々な関係性があるが、友達としてのジグソーパズル、家族としてのジグソーパズル、恋人関係としてのジグソーパズルと様々であり、その中でもいつも思うのは恋人関係の相手にとって、自分が相手の人生というジグソーパズルの最後のピースになり、相手の人生というジグソーパズルが完成という存在になりたいし、最後のピースになれるように努力し続けたいと思い、考える日々である。

最近はYouTubeでAIを使用した、映像や曲などが沢山あり鑑賞するが、日進月歩でどんどん人間がプログラミングをしたものとの区別がつかなくなり、驚きもあるが少し恐怖を感じることもあります。
本物と変わらない人物、背景描写、話し言葉や発音、ストーリーも、ほぼほぼ問題なく。今後はというか近く、映画も何もかも生成AIで造られる時も...。
その時、色々人物が嘘の情報を流したり本物であるが、あたかも嘘のように皆に信じさせたり、大変な時代になったと感じられます。
今は人それぞれの、良心を前提に、法整備やルール作りを簡単に考えていると思われることがたたありますが、すぐに迫っている時代の波にどう対処するのか興味深いし、日々気を付け個人や自分自身がどう対策するか…時代がすぐそこにあります。

結婚して東京に住んでいる娘と時々ランチに行く。場所は娘の行きたいお店になることが多いです。2人共好みがだいたい一緒なので困ることはなく、ここはどう?と言われた店に決まります。東京はお店の数も多く、イタリアン・フレンチ・中華・より取り見取りで迷ってしまうくらいです。自分一人だと時間を持て余し、食べ終わると直ぐにお店からでなければと思うが娘と一緒だと2時間はいられる様な気がします。一緒に住んでいた時より結婚して離れて暮らしている方が話題も豊富で時間があっという間に過ぎてしまう。
お腹が満腹なのに、スイーツは別腹で食べれてしまうのが不思議に感じます。
これから秋になり食欲の秋、美味しい物をまた、娘を誘って東京や横浜に行こうと思う
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