ブログ|ケアスティ ゆい・ゆい 湘南

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【花火】

夏の風物詩でもある花火。

本来は慰霊(飢餓・疫病で亡くなった人々を弔う為)・鎮魂・平和への願い・疫病退散等の願いが込められていたようです。

最近は音楽にのせて打ち上げたり、屋外で行われるLIVEやテーマパークでも上がる事が多く楽しまれています。

私が子供の頃は、公園や広い広場、浜辺や河原で手持花火、ちょっとした打ち上げ花火は楽しむ事ができたと思いますが、最近は音や煙、火の粉が飛んで危険、後始末等のマナーが守れない事等が原因で規制がかかり家庭ではなかなか楽しむ事が難しくなってきています。

浴衣等でおしゃれを楽しんだり、友達や大切な人等と一緒に楽しむ事ができる大切な時間でもあると思うので、なくならないように守っていきたい日本の伝統文化のひとつだと思います。

病院での重度訪問を通じて       山口 貴子

今回、初めて利用者様の重度訪問での見守り介助のため、病院での付き添い介助のケアを行いました。居宅でのケアとは環境も違うし、道具なども違う。少し戸惑いはありましたが、看護師さん達と連携しながら、楽しくケアができ、自分ではとても良い経験ができてプラスになったと思います。      利用者様も体調の変化も見られずに落ち着かれて過ごされていました。帰宅後も帰宅前の生活と変わらず、穏やかに過ごされています。

今回のことで、訪問介護でも色々なケアがあるんだなと思い、今後もいろいろなケアに入り、経験を積んでいきたいと思いました。

 

自転車の罰金刑     上原さつき

テレビで自転車走行時の違反に罰金料金が決まったと、報道された。やっとここまで来たかなとのお思いと、果たして、違反しているところを、どのようにして取り締ましまっていくのかなとのお思いが有る。以前走行中の携帯電話禁止令が出たが、取り締まっている気配がない。心ある方は道路の端に留めて

ハザードランプをつけて対応している。

今回のスマホを見ながらの走行では、自分も

被害にあっているので、厳しく取り締まって

もらいたいと願っている。

古希を迎えた私へ S・T

65歳になって、今考えることは後どのくらい元気に生活していけるだろうか、古希を迎えることができているだろうかと、だんだん体調もあちこちが悪くなって、ガタが来ていますが、

70歳を迎えた私はどうしているのでしょう。

私へ送ります未来への私に、元気に働いていますか、息子の家の近くに引っ越しましたか、マンドリンやギター続けられていますか、手が震えてよたよた弾いていませんか、まさかお迎えは来てないでしょうね。孫も大きくなってうれしいでしょうね。歯は入れ歯になりましたか、バラやアジサイの手入れはできていますか、毎年綺麗に咲いてくれているでしょうか、ご飯は美味しく食べれていますか、晩酌や時代劇見てますか、たまには旅行もしてますか、何もしないでゴロゴロしてないでしょうねえ。いやいや頑張ったねと一言伝えます。これから先もいろいろ年取ってきて大変でしょうが、日々私らしく歩んでください

。あの世に行ってたら、早いよ。これからだったのに、世話になった皆様に感謝して、ありがとうございましたと伝えます。息子家族に幸せだったよと伝えます。ではまたお会いするのを楽しみに、終わり

欄間(らんま)  B・I

つい先日、江戸東京たてもの園に行きました。東京の小金井市にあり、藤沢から車で1時間半くらいの距離にあり、広大な公園内の一角に江戸、明治、大正、昭和の建物が移築されており、大人400円の値段ながら、じっくり観覧すると1日はかかり、見ごたえがあります。

ほとんどの訪れる人の目当ては、ジブリの千と千尋の神隠しの中で、窯爺の仕事場のモデルとなった場所があり、写真を撮ったり、あーあれがそうかと話し、楽しまれている方が多くいらっしゃいました。

しかし私の印象深い場所は、高橋是清のお宅(226事件にて暗殺された部屋もある)であり、その中でも、部屋ごとにある欄間がシンプルながらも木彫りの彫り物が大変すばらしく印象的でした。

まず、欄間とは、日本家屋において、天井と、鴨居(かもい)、長押(なげし)との間に通風・採光のため格子(こうし)や透かし彫りが取り付けているところです。

高橋宅は、東京指物の指物職人さんが作ったものか、仏師か、素人考えではわかりませんが素晴らしい職人が製作したことには違いません。日本には大阪欄間や日光彫など各地にありますが、その中でも有名な富山県南砺市(なんとし)井波地区にある井波彫刻は圧巻です。ここでは、長くなるのでWikipediaで調べて頂きたいですが、とにかく本物を観ることをお勧めいたします。南砺市にある瑞泉寺

(ずいせんじ)が有名です。ホームページをご覧になってください。

このような素晴らしい伝統工芸がなくならないよう平に望みます。

【★第1話★】藤沢市 ヘルパー募集 求人 未経験OK 地域密着

【★第1話★】
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◆◇ ゆい・ゆい湘南ってどんなとこ? ◇◆
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「介護の仕事って、資格がないとダメ?経験がないと難しい?」
そんな風に思っているあなたにこそ、知ってほしい!
\★ケアスティ ゆい・ゆい 湘南★/ のこと。


◆ ちょっとご紹介 ◆

【所在地】神奈川県藤沢市善行6-6-43
【営業時間】9:00~18:00(日曜定休)
【TEL】0466-84-0337

私たちが目指しているのは――
『その人らしく、生きる』を支える介護。
難しいことはありません。
ほんの少しの「気づかい」と「やさしさ」があれば、
立派なスタートなんです(`・ω・´)ゞ


◆ 未経験でも大歓迎!その理由 ◆

◎充実の研修制度
→先輩スタッフがマンツーマンで指導します(。・ω・。)ノ

◎資格取得も応援!
→初任者研修など、資格取得にかかる費用補助制度あり♪

◎「できること」からスタート
→まずは同行訪問で現場に慣れてもらいます☆

\経験よりも“人柄”を大切にしています!/
「ありがとう」と言われる仕事、始めてみませんか?(´ω`)


◆ サービス内容(ほんの一部) ◆

・居宅介護
・重度訪問介護
・同行援護 など

いずれも地域の方にとって欠かせないサービスばかり。
あなたの“ちょっとした手助け”が誰かの一日を明るくします(^▽^)


◆ 次回予告 ◆

第2話では、実際に働くスタッフさんの声をご紹介!
「どうしてこの仕事を選んだの?」「働きやすさは?」
リアルな声をお届けします(゚∀゚)

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\あなたも“ゆい・ゆいファミリー”になりませんか?/
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続きが気になる方は次回もお楽しみに~(〃▽〃)ノシ

初めてのプロレス鑑賞

 

このあいだの週末に旦那の知人のお誘いでプロレスを初めて観に行きました。

諏訪間選手という20周年記念のイベントだったみたいです。最初はお互い戦っている姿を見て身体が痛くなる感覚でしたが、1試合ずつ観ていくと皆さまが戦っている姿、頑張っている姿に感動しました。

プロレスは意外にエンターテイメントなんだなと感じました。

周りのお客さんに声を出してもらったり、盛り上げるために観客の椅子の場所に戦いにリングから降りてきたりしていました。

藤沢市長からのご挨拶だったり、湘南野菜を作っている団体からお土産としてお野菜の詰め合わせセットを頂けたりしてとても思い出に残る週末でした。

【引っ越し】

昨年、住んでいたアパートを老朽化に伴う建て替えの為退去する事になりました。

なんとか退去期限までに職場近くで、いい物件が見つかり引っ越す事ができ、娘達にも念願だった部屋を用意する事ができました。

日々の仕事の中で家事援助というものがあり、ご利用者様と関る中で、時折、掃除をはじめとする家事の知恵を教えていただける事もあり、自分の中でアイデアが浮かんでくることも珍しくなく部屋の清潔維持にも一役かってくれています。

天気のいい日には、玄関を一歩出ると富士山の山頂部分が見えたり、夕焼けがとても綺麗にみえるので楽しみになりました。

年の功       いばね るりか

30歳を迎え、気づいたことがたくさんある。自分の育った環境の善し悪し・子育ての難しさ・たくさんの方々への感謝・社会の厳しさ・趣味嗜好の変化・新たに得た知識・十人十色の価値観・自分の欠点

中でも日々痛感するのは、家族・友達・職場、どんな場面でも信頼関係を築けていないと成り立たないことが多いということ。信頼は、一瞬で崩れ去ることがあるほどに儚いということ。

知識を増やし、欠点を直し、体を作り、いくつになっても、驕らずに、自分自身をアップデートし続ければ、歳を重ねるほどに理想の自分に近づき、いつか誰よりも素敵な女性になれる。そうやって生きてきた私は今、人に信頼される人でありたいと願う。

11歳の長女は絶賛反抗期。2歳の末っ子は現在骨折中。6歳の長男が出来たことを褒めれば、上の子たちから甘やかしていると大クレーム。あなた達も小さい頃はこうだったのよ、何をしても可愛いね偉いねと育てられたのよ。なんて説明しても伝わらない。違う歳の子を同じテンションで接するのは案外難しい。育児の課題は尽きない。皆に信頼される母親になるにはまだ時間がかかりそうだ。

先輩方からすれば私はまだまだ未熟者。亀の甲より年の功。だから私は、年の功を重ねて、素敵な人に、素敵な母に、素晴らしい介護士になりたい。

あの時を堺に   副嶋 宏

前から親父は肺がんで、体調が悪い事は知っていたが、4年前義妹から、親父の体調が悪いとの知らせが入り、義母からは「病院を退院して戻って来るけんが話せるのは今のうちかもしれんけん、長崎に帰ってこれんね?」とも言われ、迷いに迷ったが12月頭に長崎へ1週間帰省する事を決め、帰省した際、余程体調が悪いのだろうから親父は迎えに来ていないのだろうと思っていた矢先、義妹、義母に連れて行かれた先の車の中に親父が乗って居た。その瞬間、緊張感が走った。スポーツ新聞を読み、煙草をふかしながら待っている車に乗り込み、親父達が住んでいる佐世保へ向かった。

自分自身は長崎市で祖母祖父の所に幼少期に親父に預けられ、祖母祖父に育てられた。一時期、親父達も長崎市内に住んでいたが、

親父以外とは接点を持つことなく大人になり、20数年ぶりに義母、義妹、義弟と再会を果たした。

1週間の帰省した間、生まれて初めて親父と食事をしたり、生まれて初めて誕生日を祝って貰ったり、生まれて初めて毎日車でどこかしらに出掛けたり【義妹の運転】今まで1分も話した事が無かったのに毎日何かしら話もしたり。

ある日、親父二人で煙草を吸いながら話していたら突然「お父さんが、こがん大きな病気になったとは、お前ば、ほったらかしにしとった罰ば受けたと」と薄っすら涙ぐみながら言い出した。今更思ったのかと思ったが、「こうやって家族で集まる機会が出来たといえば出来たんだから」と答えた。

正月にも帰って来いと親父に言われたので正月にも1週間帰り、生まれて初めて親父と正月を過ごし、その二週間後、親父は亡くなった。

今まで、年1くらいの感覚で親父が夢に出て来る事があり、その夢は恐怖しかない悪夢だったが、死後、見た夢に声だけの出演だったが自分に対して助言するという今までに無い展開が繰り広げられ、夢から覚めた瞬間、悪夢じゃ無かった事に驚き、自身の中の親父に対する意識と親父が自分に対する罪悪感が浄化された瞬間だったのかもしれない。