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あれは何歳だったろうか?まだ、幼い頃、母親の実家で留守番した頃、ある物をみた。白い壁紙に、ストローで飲む真っ黒い女性だった。大きな口で好感度のある画像で強い印象だった。更に不思議に思ったのは、その女性は何故、黒いのだろうと、まだ幼い私は何にも知らない。こんな女性って見た事がない。そのうちに、また一つ学んだ。「チビ黒サンボ」という童話だった。なかなか良いストーリーだ。小学校一年生の頃だったかな?クレヨンの中に「はだいろ」という色がある。この言葉の意味が分からない。お肌の色の事だねと分かったとしても違和感がある。だってそうじゃない?自分のお肌とクレヨンの「はだいろ」全然違うじゃない?それが大人になって行く度にそれらが1つ1つ消えていく。何故、消えてしまったのか?私には分からなかった。たまたま娘が、まだ幼い頃、クレヨンの「はだいろ」が「だいだいいろ」に変わり、「だいだいいろ」が「オレンジいろ」に変わった。いつだったか?記憶にないが、国際人種差別撤廃条約が出来たと知った。リンカーン大統領をはじめ、黒人差別を無くす運動はあまりにも長いが、障がい者差別という歴史はまだまだ浅い。ただ、これだけは言える。人種差別なんて、まだいい方だよ。だって言葉だって言える。耳で聞ける。ちゃんとしたコミュニケーションが取れる。障がい者なんてそう簡単にはいかないよ。私なんて何十年も生きて一つ一つ苦労して一つ一つ克服してきたからさ。そんな事ってさ、誰にだって気付かないよ。みんな自分の事しか考えてない生き物だからさ。私が逆らうなんて出来やしない。私が大人しくオドオドしていくしかないよ。例えば、私が自転車に乗って、ちゃんとルールを守って、左側を通って、走った。子供用シートを前後に付けて右側を走ってくる。何、考えてるか?分かりやしない。たまたま、右側を走る子供用付自転車に乗っている母親がいた。このまま走りながら前方に左側を走りながら交差点を通過しようとした自転車に接蝕事故を起こして転倒した。その母親が相手に謝罪して私から「お子さんがいるのですから、必ず左側を走った方いいですよ。」と伝えたのに、シカトされた。何、考えてるか?全然、分からない。それだけでなく、私が左側を走って前方の見えない曲がり角の壁側から、いきなり、自転車が飛び出してくる。その人が知らん顔で平気な顔をする。危ないとは思わないの?ねえ、知ってる?60くらいの女性と小学生の男の子が自転車で正面衝突を起こしてしまったことだよ。どっちが左側を走ったのか?どっちが右側を走ったのか?知らないけど、その60の女性が頭蓋骨骨折により脳内出血の為、寝たきり状態となった。裁判で少年は9千500万円を支払え!と命じられたよ。とんでもない金額だよ。それをみんなが「私には関係ないよ」みたいな顔して知らん顔するよ。私は、いつも移動支援で仕事する時、必ず利用者さんに「横断歩道に止まりましょう。」「右と左を見ましょう。」と声かけして支援している。思い出せば私は幼い頃からずーっと、ろう学校の中で生活を送られて先生方に厳しく指導された。耳の聞こえない子供達の為に安全に安心して渡れるように考えてくれた。「横断歩道に止まって手を挙げて右と左をよく見て車がいなかったら、渡りましょう。車が来たら、必ず待ちましょう。」と朝礼も、また同じ事を指導された。当たり前だと今でも思っている。俺だって、まだ幼い娘にちゃんと教えたよ。「道を渡る時横断歩道を使おうね。」「横断歩道に必ず止まろうね。」「右、左を見ようね。」って。
自分は自分なりに生きて行くよ。
それが一番だよ・・。
そして、自動車整備業界で働いた頃の社長をはじめ、国家2級自動車整備士へと育ててくれた感謝の気持ちを忘れない。そして、聴覚障害の持つ私を雇って頂いたゆいゆいに感謝しています。今、訪問介護をやってて、良かったと思う。だって、感じてくるもの。遣り甲斐があるんだ。
多くの人達に認められるほど・・・。
どうせ、自分が死を迎えるのだから
生きている限りに自分の伝記が残るくらい
生きていきたい・・・。