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あの時を堺に   副嶋 宏

前から親父は肺がんで、体調が悪い事は知っていたが、4年前義妹から、親父の体調が悪いとの知らせが入り、義母からは「病院を退院して戻って来るけんが話せるのは今のうちかもしれんけん、長崎に帰ってこれんね?」とも言われ、迷いに迷ったが12月頭に長崎へ1週間帰省する事を決め、帰省した際、余程体調が悪いのだろうから親父は迎えに来ていないのだろうと思っていた矢先、義妹、義母に連れて行かれた先の車の中に親父が乗って居た。その瞬間、緊張感が走った。スポーツ新聞を読み、煙草をふかしながら待っている車に乗り込み、親父達が住んでいる佐世保へ向かった。

自分自身は長崎市で祖母祖父の所に幼少期に親父に預けられ、祖母祖父に育てられた。一時期、親父達も長崎市内に住んでいたが、

親父以外とは接点を持つことなく大人になり、20数年ぶりに義母、義妹、義弟と再会を果たした。

1週間の帰省した間、生まれて初めて親父と食事をしたり、生まれて初めて誕生日を祝って貰ったり、生まれて初めて毎日車でどこかしらに出掛けたり【義妹の運転】今まで1分も話した事が無かったのに毎日何かしら話もしたり。

ある日、親父二人で煙草を吸いながら話していたら突然「お父さんが、こがん大きな病気になったとは、お前ば、ほったらかしにしとった罰ば受けたと」と薄っすら涙ぐみながら言い出した。今更思ったのかと思ったが、「こうやって家族で集まる機会が出来たといえば出来たんだから」と答えた。

正月にも帰って来いと親父に言われたので正月にも1週間帰り、生まれて初めて親父と正月を過ごし、その二週間後、親父は亡くなった。

今まで、年1くらいの感覚で親父が夢に出て来る事があり、その夢は恐怖しかない悪夢だったが、死後、見た夢に声だけの出演だったが自分に対して助言するという今までに無い展開が繰り広げられ、夢から覚めた瞬間、悪夢じゃ無かった事に驚き、自身の中の親父に対する意識と親父が自分に対する罪悪感が浄化された瞬間だったのかもしれない。