ブログ|ケアスティ ゆい・ゆい

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休日の過ごし方   A

休日の1日の過ごし方は、行きたいところに行くと決めている。朝のんびりしたいと思う事もありますが、お天気が良い日はなるべく外出し観光・買い物・食べ歩き等するようにしています。誰かとではなく1人でほぼ出かけています。東京辺りだと見どころ満載で1日では見切れず何回かに分けてでかける事もあります。今まで行きたかったけど行けなかった場所など色々楽しいです。先日は浅草寺に行き、お守りを購入、大学芋・天丼を食べました。別な日では、東京タワーに行き展望台から東京周辺を見下ろしてきました。

随分昔に昇ったことがありますが、再度床がガラスになっている所も歩けるか試したり、蝋人形館はなくなっていましたが十分1人でも楽しめました。虹もでていて良い事がおこりそうなそんな気がしました。次回は夜の東京タワーから東京の夜景が観たいです。次に予定しているのはスカイツリーです。

「エレファントマン」   綾部 義雄

見せびらかしって何だろう。思い出せば私は、あまりにも衝撃的な映画を見ました。それは「エレファントマン」という映画でした。まだ、高校生で、その頃は優越感がありプライドの高い少年でした。たまたま、ある漫画本に「アイム ヒューマン ビーイング!!」と書かれて「私は獣じゃない!人間だよ!」とわかっていても絵で描いているだけでわかりませんでした。たまたま、この映画を見ようと入館しました。あまりにも残酷すぎる物語でした。サーカスで、見せしめにされている獣。あれは何なのか?分からず、医師がそれを見て救って保護しました。何らかの会話で聞き取れて真似して、言葉が出るようになった獣は人間だとここで私は初めて、知りました。その後、医師がその獣に色々な言葉を教えて訓練し、その言葉を身に付けられ、交友会で広げて行きました。しかしながら、この世で生きていくのに難しく、この体を人に見せるのが恥ずかしくて体を隠して路上で歩く姿も、ありました。就寝する時、私は人間です。みんなと同じように、あお向けて休みたいと、ここで息を引き取ったという物語でした。彼の病名は「プロテウス症候群」です。骨髄や皮膚等が変形してしまう病気であお向けた状態で呼吸困難となり、死に至ります。それを知っていて死を選択したという事は自殺です。苦しかったのでしょう。見せしめじゃない。我々と同じ人間であると理解していかなくてはならないと感じました。

また、「障害は個性である」とよく聞いています。しかし、私は、この言葉は嫌いです。「個性」とは何でしょうか?それは性別、性格、趣味等事を言います。障害は個性ではありません。障害とは何か?生まれつきそのものや、ダメージを受けた身体のことをいい、「障害は障害」であり、それらをどう理解して頂くか?或いはそれをどう乗りこなすか?事は難しいでしょうが、選択は二つ。自分の障害を克服する事。もう一つは自分の障害を身近な人達に理解して頂く事。人はそれぞれの選択であり、私は、自分を克服していくタイプです。だからといって私は障害者達に強制はいたしません。客観的に考えてどうケアしていくか?一人一人のプライバシーを守り、優しく丁寧に笑顔で努めていきます。

9月テーマ 我が大地のうた      和田 早苗

カラマツ、コメツガ、針葉樹林

かもしか、月の輪ぐま、走る稜線

そびえたつ、つらなる我が山々を

そびえたつ、つらなる我が山々を

いくたびか春をむかえ

いくたびか夏をすごし

いくたびか秋をむかえ

いくたびか冬をすごし

 

柿の木、赤土畑広がる水田

川柳、青い水、流れる河川

この土地に、生きている私の暮らし

私に流れる人たちの暮らし

私が歌う歌ではない

あなたが歌う歌でもない

我が山々が私のうた

我が大地が私のうた

 

 

かるかやからつり草

わきたつ積乱雲

からすうり、月見草、風渡る草原

この土に私のすべてがある

この国に私の今がある

いくたびか春をむかえ

いくたびか夏を過ごし

いくたびか秋をむかえ

いくたびか冬を過ごし

 

かもめどり、黒松岩礁海岸

カツオドリ、海つばめうねる水平線

この国の歴史を知ってはいない

この国の未来を知ってはいない

けれども私はここに生まれた

けれども私はここに育った

私が歌う歌ではない

あなたが歌う歌でもない

我が山々が私のうた

我が大地が私のうた

この歌が、大好きなご利用者様がいます。

一緒に歌い過ごす瞬間が共に喜びを感じる時です。

人に尽くす        いばね るりか

初めまして。8月にゆいゆいに入社しましたいばねと申します。初めてなので自己紹介をさせていただきます。

私は家事や育児が好きです。物心がついた頃には、保育園で自分より下のクラスに行って毎日年下の子をとんとんしてお昼寝させるのが楽しみで、大好きでした。小学生に上がった頃には甥っ子が生まれ、粉ミルクを作ったりオムツを替えたり、小さなお母さんをしていました。8歳になった頃には、「自分に出来ない事なんてない!私はもう大人よ。」と思い込んでいました。その盛大な勘違いに気が付くのはまだまだ先の話、長女を出産した後になります。

そんな少し大人びた私の介護士の道がスタートしたのは13年前に働いていた有料老人ホームでした。当事17歳だった私が介護士を始めたきっかけは、介護士をしている母に、るりに絶対向いてるからやってみたらと勧められた事でした。今思えばその一言が人生の大きな分岐点でした。沢山の契約書や年金手帳や保険の話は、それまでしてきたアルバイトとは重みが違うような、同級生よりも一足早く大人になった気分でした。

利用者様に毎日ありがとうと声をかけて頂き、ひ孫と同い年だよ!なんて言われながら笑い話をしたり、忙しい施設でしたがやりがいがあり、『人に尽くす』この仕事は自分の天職だと思いました。

それからは、スキルアップのためにヘルパーの資格を取る学校に通ったり、結婚や出産を経て、特養や短期入所型のデイサービスや病院での介護経験を積んで、今に至ります。

人に尽くすのが好きな私にとって、訪問介護の仕事はぴったりだと思っています。施設や病院では、その日の仕事をこなすので皆いっぱいいっぱいで、利用者様一人一人の要望に全て応える事は難しいです。訪問介護では、その都度利用者様に何をして欲しいかどんな事が嫌か、確認をしながら一人一人に寄り添った介護を実現できます。まさに、人に尽くしたい私と、要望を叶えたい利用者様のマッチングで、お互いにとって良い時間を過ごせるように癒しの時間を提供出来るように尽力したいと思います。

長くなりましたが、初めて飛び込んだ訪問介護の世界で、私はゆいゆいを選んで雇って頂いて良かったと思っています。職員皆が利用者様やそのご家族のために、毎日色々な事を考えながらしっかり働いています。十人十色それぞれにあった介護を提供する事は、私が介護を始めた当初からずっとやりたかった事です。私も早く一人前になれるよう仕事を覚えて、資格を取ったり実務も含めてスキルアップしていきながら、ゆいゆいの信頼できるスタッフになりたいと思います。

「障害の持つ女性作業療法士」 綾部 義雄

何十年前か、私は日本テレビの世界仰天ニュースの脳内出血により転倒したある女性の番組を見ました。この女性は元々健全であり作業療法士を目指して懸命に勉強していました。ある日、突然、意識消失となって、倒れた。すぐ、病院に運ばれて検査を受けた結果左脳内出血でした。手術を受けたが、右片麻痺、失語症、失行症となった。道具の使い方が分からない。言葉が伝えられない。一番嫌なのは排泄介助である。恥ずかしくて人に見られたくない。何と言っても自分でやりたいと自分1人でやった。そして、再び転倒した(てんかん発作?)が、回復するまでリハビリを受けた。ようやく退院し、ある親友と一緒に散歩しながら親友が尋ねた。これから、どうするの?あれだけ頑張ってたじゃない?言われた時、障害となった自分に自信がないと軽く横に振っていた姿を見た親友がこう言いました。「あなたらしくないよ。あれだけやりたい!やりたい!言ってたじゃない?見損なったよ。」その言葉が響き、社会復帰に向けて勉強して国家作業療法士の資格を取得されて現在、作業療法士の仕事を続けているようです。その女性だけでなく、他にもいます。アイドルを目指してオーディションを受けて突然、脳卒中で倒れた女性も国家作業療法士を目指して資格を取得されています。私もこのような経験が何度もありました。世間に認められなかった悔しさをバネにして生きていきます。

紫陽花

5月、6月の梅雨の時期は、蒸し暑かったりじめじめしたり、憂鬱な気持ちになりがちな季節ですが…

そんな中、紫陽花が癒しになっています。

土壌の成分の違いで花の色が変わるのが面白く思え、毬のように丸い形や額縁のように真ん中と端の花の大きさが違う額あじさい等種類があるのも面白いと思っています。

ここ数年…

紫陽花の中に、ハートや隠れミッキーのような形のものを探すのも楽しみのひとつになっています。

機会があれば、あじさい寺として有名な長谷寺等、鎌倉にあしをのばしてみたいと思います

ハードルは高い程、くぐりやすい 副嶋

18才から働き始めて、43才初めて有給休暇という物を使い、地元長崎へ神奈川から車で16時間から一日程掛けて帰りました。長崎へ帰った日と甥っ子の卒園日とたまたま同じだった為、お帰りなさい会と卒園祝いを兼ねて家族と外食したり、弟夫婦と呑んだり、墓参りに行ったり、妹の描いた絵の展覧会を見に行ってみたりと満喫した帰省となりました。

そして、今回の帰省で思った事は今まで京都や名古屋まで車で行く時、遠く感じていたのに目的地が長崎となると京都や名古屋が近くに感じる事に気が付き、目標設定を高く設定することで小さな目標は通過点に過ぎないという様な考えが生まれ、今後の生活や仕事においても目標を高く設定していこうと思いましたが目標達成におけるプロセスは無理なく行なっていきたいとも思うので、次回車で長崎へ帰省する時はフェリーを使うという事を心に決めた次第であります。

口腔ケアの大切さ A

以前勤めていた病院でのことですが、患者さんの排泄交換、入浴・食事介助等お世話していた事がります。お食事も限られた時間の中での提供となり、ゆっくり時間もかけられず介助して召し上がって頂くことも多かったです。口腔ケアもスタッフが介助して行う方ばかりですが、口腔ケアは誤嚥性肺炎を起こさないようにしっかりとケアをしてあげたいと思っていました。夕方面会に来られたご家族が、スタッフに代わり食事介助して、口腔ケアもしますと仰りお願いした事があったようです。しっかり口腔内のお掃除が出来ていなかった為に、次の日、その患者さんは熱が出て誤嚥性肺炎を起こしてしまいました。それから、口腔ケアは、しっかりとケアしましょうとなりました。忙しくても口腔ケアの大切さを忘れずにケアを行っていきたいと思います。

陰から来る自転車、オートバイ 上原さつき

反対車線のガソリンスタンドに入る為に、入れるチャンスを伺い、行こうと思いスタンドの敷地に入ろうとして、様子見る為に停まった時に、迫る車の陰から自転車が止まらずぶつかってきた。自分の車の鼻先をかすめて自転車の男の子は倒れ込んだ。ガソリンスタンドの敷地内であったために、後続車に踏まれることはなかったが、たちあがって、自転車を起こして、すいませんを繰り返して立ち去った。心配で大丈夫ですかの声掛けもむなしく、立ち去った。残ったのは。ライトカバーに傷があり、バンパーに黒くこすった跡が残った。車の陰に自転車、オートバイがいると恐怖を感じました。これ以降は、反対車線にあるお店にはいるときは、一度通り過ぎて、車線変更してから入るようにしている。

「生きがいを求めて日々精進」 綾部義雄

生きるなら一生死ぬまで楽しく生きていきたいというのが私の小さい頃からの我儘な性格でした。まず、何をしたいのか?分からず運動は得意ではなく、勉強は面倒くさがり、やる気もありません。好きな学科は理科でした。科学技術、生物学が熱心で美術技術工学も大好きでした。そして、漫画本を読む事も好きでした。好きな漫画家は「手塚治虫」でした。「ブラックジャック」をはじめ、「三つ目がとおる」「火の鳥」様々な作品が影響を受け、好奇心旺盛により夢が膨らみ、そこから走り出しました。趣味を生かしていく。それが私の生き甲斐、自動車整備業界へと結ばれました。

最近、こんな事がありました。娘と一緒に外出しようと玄関から出た時50代くらい女性と老女、2人で出会い、50代くらいの女性が手話で挨拶してました。その時、私を馬鹿にしてるのか?とムッとして「要件は何でしょうか?」と口話のみ伝えると目を丸くして驚いていました。話を聞けば宗教の勧誘活動で来て頂いた事でした。手話を使っていますか?と聞かれて「私はこのような機会がなかなかないんです。中にも手話の出来ない聴覚障害者がいますよ。この人達にどう対応するかですよ。」と応えました。「そうなんですか。ろうあ者との集いの会に参加されてますか?」と聞かれました。「全くないですね。だってそうでしょう。ろうあ者でもなく、健常者達でもないですから私が参加しても何の得にもならないですよ。」伝えると「ああ、あなたのような人と会った事があります。自分がろうあ者でもない、健常者でもない立場で立っているから難しいと仰っていましたよ。」と答えて頂きました。「いいえ、そんなに難しい事ではありません。自分の両足を地に固まらせる事ですよ。じゃないと世間の人達に認められませんよ。これが、私の生きがいです。聴覚障害者に対する差別行為ではありません。自分の為なんです。では失礼します。」ときっぱりと断りました。「ありがとうございます。お会いできて嬉しいです。」とお礼を頂きました。若い頃「情熱」という言葉が好きでした。これから先、自分は自分なりに残された能力を発揮にして「遣り甲斐のある人生レールを歩みながら、日々精進して頑張っていきます。