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10月に前から行きたかった下北沢のカレー
フェスティバルに行ってみた。神田でも同じようにカレーフェスティバルがありますが、娘が去年も楽しく参加できたといっていたので下北沢に決めました。パンフレットを駅前で貰いフェスに参加している店舗や提供しているカレーをみて選んで行列に並んでみました。辛さも調節してもらえて、シーフードカレーやチーズカレーが美味しかったです。最高20杯(ハーフサイズあり)食べるとフェスTシャツがもらえるようです。カレーも色々なタイプがありスープカレー・キーマカレー・グリーンカレー等選ぶのも悩んでしまう。さすがにフルは食べられないと思いハーフを5杯食べてみたがそれ以上はギブアップで記録は5杯でした。参加している店舗は100店舗ほどあるので、また来年チャレンジして色々なカレーを食べてみたいと思っています。
運転している時に、救急車のサイレンの音が聞こえ、どちらから来るのかと耳を澄ませて、いると、後方からくるとわかって。ハザードランンプを着け、歩道側に車を寄せました。後続の赤いベンツ車は、私の車がハザードランプつけて道を譲ったと勘違いからか追い抜きにかかりました。救急車が通りますとアナウンスが鳴り、やっと事態がわかり、車を私の前に幅寄せして止まりました。救急車が通り過ぎた後は窓を開けて腕を出して、先に行けと合図をしますので、先に出発しました。
今朝は大変込み合う交差点で、向こう側の停止線には市バスが停止していました。その後方から救急車がサイレン鳴らして迫っていました。当然バスはハザードランプを着けて待機するとみていましたが,発車しました。両車線は車両がいっぱいで、避ける場所がとりずらくなりました。救急車が後方にいる事態になってもバスは止まりませんでした。やっと止まって、譲り合って救急車は通り抜けていました。緊急時を意識しながら運転していきたいと思います。
最近は、情報の発達により、海外でもマンガ、アニメと評判です。フランスでは、コロナ中に政府が補助金として一般書籍や、教育関連の本を推進するための、カルチャーパスを、当時18歳対象に配りましたが、一番利用が多かったのが書籍で全体の約84%位、その中で漫画が4分の3の人が日本のマンガを購入し、チョットした話題となりました。
また、他国の人が、漫画を模倣し作品を売れるように試行錯誤で行いますが、単発の作品が売れるのみ、ビックタイトルはありません。
それは、なぜか?近代漫画の巨匠、手塚治虫氏の多大なる影響は勿論、その前に活躍した戦前戦後の北澤楽天や岡本一平(岡本太郎の父)、田川水泡(のらくろ)や、それ以降の、多種多様な作家が、色々なジャンルで活躍し広がり続けています。
漫画の出来たのはいつか、諸説ありますが、例えば、室町時代の屁合戦絵巻(早稲田大学所蔵)や江戸時代の、葛飾北斎の北斎漫画、曲亭馬琴(滝沢馬琴(日本で初めての原稿料だけで生計を立てる事のできた作家)南総里見八犬伝の挿絵を描いた柳川重信などそのころから、漫画(絵物語)がありました。明治になり風刺漫画やその後の4コマ漫画、山川惣治に代表される絵物語(少年王者)、そして、それらが、今の漫画に通じています。 アメリカで人気のヒロアカや鬼滅の刃、中東で人気のドラゴンボール、ヨーロッパでもワンピースやワンパンマンなどありすぎて限がありません。今、日本では、転生ものや、なろう系、王道漫画や少女まんが、子供漫画、青年漫画やマイナーな漫画なども次々生まれています。チョット前ですが、ヘルプマンと言う介護の漫画もありました。これからも世界中の人を楽しませてくれるこのツールをこれからも、大切に出来るよう休日には、読んでいきたいと思います。今回は、趣味の話をさわりだけ書かせていただきました。
追伸、今年は、鳥山明、楳図かずお両氏が亡くなり残念な思いでいっぱいです。
私に人生と言えるものがあるならば
あなたと過ごしたあの山の日々
きらめく草の葉に心が弾み
野に咲く花に心がかよう
私に人生と言えるものがあるならば
あなたと過ごしたあの旅の日々
もう会えないけど、もう若くないけど
二人で行ったあの日が浮かぶ
私に人生と言えるものがあるならば
あなたと過ごしたあの山の日々
許されるのならやり直してみたい
出来る事ならばあの日に帰りたい
私に人生と言えるものがあるのならば
あなたと過ごしたあの山の日々
あなたと過ごしたあの旅の日々
若き日の思い出がよみがえってきます。。
65歳を迎えるのに、最近は歳を取ったなと思う出来事が目立ち、書き上げた歌を思い出しては、口ずさむ日々です。
和田早苗
私の家族は、御殿場に住む長男家族、上のお姉ちゃん22歳、下の子が7歳、プードルのピロちゃん、黒猫のルンちゃんです。お父さん、お母さんととても仲良く暮らしています。
下の子が2歳の時、目の動きが気になり、心配していました。そして、その子が小学生になる時、目の異常が分かり、視力が弱視と言われて、治療をすることになりました。眼鏡を使用し視力をよくしていくそうです。両親は心配し、悲しんでいました。お母さんは、娘の目が大きくてきれいな瞳を自慢しているくらいでした。孫は眼鏡をすると、お友達が眼鏡をいたずらするのが嫌だと溢していました。それでも本人は、明るく元気で、負けずに学校に行き暮らしています。おばあちゃんと一緒だね。と話しかけ、夏休みのお盆の日に遊びに来て、たくさん遊びました。かけがえのない家族の幸せを祈り、孫の目が見えるようになりますようにと、仏様になってしまった両親に手を合わせ、心から祈りました。
介護には同行援護と言うサービスがあります。同行援護とは、視覚障害のある人が外出する際、支援者が同行して移動に必要な情報の提供、移動の援護、トイレでの誘導や食事のサポート、代筆や代読、移動者が行きたい場所への同行、同行中の身体介護、利用者に応じたコミュニケーションツールを準備し対応すること、事前準備など多岐にわたります。
その中でも移動同行中の歩きに関して書きたいと思います。2人の成人男性が横並びに歩いていることを想像してください。幅が広い道、狭い道、でこぼこ道や砂利道、芝生等色々な条件の道があり、その上雨降りや、雪などで滑りやすい道、ポールやガードレールが沢山あったり、点字ブロックが有ったり、下り坂上り坂、幅のそれぞれ違う階段、歩道橋やエスカレーター、エレベーター、横断歩道、踏切、電車乗り込みの際の危険性、バス乗降時のバスと未知との段差や隙間等多種多様にわたります。その上、歩行者、自電車、車、バス、バイク、横に並んで歩いてる人、全く気にせずスマホをやっている人等々その中をかいくぐり歩き、注意して目的の場所に安全に到着することが仕事上、必要です。1人で歩く場合は、あまり気にせず歩いていましたが、2人で歩くと沢山の注意点が解る様になりました。介助している最中には、相手がよけたりすることが当たり前で(善意の心)、白杖を持っている人が歩いているのだからと、周りの人も注意してくれていると考えず、ほとんどの人は、下を見て歩いていたり(スマホ)当たることを気にせず歩いていたり、様様です。危険な場所や場面はいつ何時にあるかわからないと思い、介助することが必要です。但し、気にしてくださっている方もいるので少しは安心です。介助時、私たちも、他の人の気持ちや行動を考え、譲り合いの精神で歩いていきたいと思います。